───雨か。

　半ば目を閉じて、硬い椅子に身体を預けたマイグリンは、途切れがちな意識を手繰りながら思った。
　幅の広い鏃のような葉から滴る水が、王宮の柱のように高く真っ直ぐに育てられたポプラの幹に幾つもの筋を引いて落ちていく様が、脳裏につらつらと浮かんでは消えた。
　彼が生まれた森では、雨はそのようには降らなかった。
　ケロンの河岸に星々の時代から在ったナン・エルモスの森は、丘の如き根方を持つ巨木が空を覆い、その樹下に未だ太陽も月も知らぬ太古の薄闇を抱いていた。
　雨は、はるか頭上で樹皮に吸われ、彼の手の届く所まで流れてくる事は稀だった。
　「───なぜ止める。」
　竪琴の調べが止まった事に気づきマイグリンは声を上げた。
　「お休みになられたものと───。」
　竪琴の調べの合間に聞こえた歌声と寸分違わぬ、物静かな澄んだ声でサルガントは答えた。
　「残念だな、眠ってなどおらぬ。」
　マイグリンはそう言うと、ゆっくりと硬い椅子から立ち上がった。
　「雨か…。」濡れたテラスの床に目を留め彼は言った。
　「いつから降っていた。」
　「もう、半刻ほど前からでありましょうな。」
　サルガントは腰掛けた台座の上で、大きな竪琴を抱えなおして言った。
　ざわざわと鳴るポプラ、その幹を流れ落ちる雨の音、しっとりと水気を帯びた空気が、サルガントの言う通り、雨が降り始めてから、そう短くはない時が経っている事をマイグリンに語っていた。
　「そなたの竪琴の音で、気づかなかったようだな。」
　マイグリンは傷の痛みに眉を寄せながらそう言うと、柱に近づき、暗い中庭を見渡した。
　遠く、王宮に灯されたランプが、雨に青白く滲んでいる。
　明日には、何事もなくアングハバールの鉱山から戻った自分の姿を王に見せねば、王にも不審がられるだろう。
　彼は、ひりつき熱を持つ、体の傷の痛みに苦しげに眉を寄せ、浅く息を吐いた。
　都に戻り、安心は出来ぬまでも見知った館にいる事が、長い間張り詰めていた緊張を緩め、あるべき痛みを呼び覚ましていた。
　「休まれてはどうか？」
　青白く滲む王宮の灯を、マイグリンと同じように見遣りながらサルガントは言った。
　「眠りこけている間に、王の近衛に引き渡されていなければ良いがな。」マイグリンは体の痛みを忘れようとするように毒づいて応えた。

>>>>>> Erecasse -holly-