東の峰を越えた曙光が、険しいエホリアスの斜面に大鷲たちの峡谷を黒々と浮かび上がらせていた。
　夜半に雨の訪ないを受けた白い都は、街路も木々もしっとりと濡れて、明け始めた空に水の歌を常よりも高く響かせていた。
　第五の合戦で北方の守りを失ったベレリアンドは、遙か南までモルゴスの影に覆われていた。しかしエルダールの最後の望みであるこの隠れ岩山の都は、依然モルゴスには見つけられず、エホリアスの内側のトゥムラデンの谷間に百合のように美しく佇んでいた。
　「マイグリンが怪我を？」イドリルは食卓を整える手を止め、ハープ家のロードの顔を見た。
　 昨日の約束の通り、歌物語を聞かせにエアレンディルの元を訪れたサルガントは、光の姫からマイグリンはどこにいるのかと問われた。昨日、公子がアングハバールの鉱山から戻った事は満都の知るところであったから、それは当然の問いだった。サルガントはマイグリンが険しい山中で足を滑らせ谷に落ち、重傷ではないが軽くもない怪我を負って彼の館で療養しているのだと、マイグリンの近親者であるイドリルに話した。
　「ご心配を召されるな。」サルガントは持ち前のおっとりとした笑みを浮かべて言った。
　 「傷は多うございますが…、何れも深い物ではありません。ご自身の不覚で民を騒がすまいとのお考えでありましょうが、側近にも話されずアングハバールより馳駆して来られたとのこと。…いかにも剛直であられますな。」
　しかしイドリルの心は騒いだ。彼女は外衣の胸に緑の宝石エレスサールを留め、サルガントを急かして彼の館を訪れた。
　中庭に面した広間に導かれたイドリルは、その一角に据えられた寝台で、瞼に暗い影さえ落として眠っているマイグリンの姿を見た。
　「名立たるノルドールの将が、このように憔悴しておられるとは…。」剛勇のフィンゴルフィンの一族の血の色濃い従弟は、トゥアゴン王や亡きノルドールの白き姫アレゼルによく似て、勇敢で強い心を持っていた。しかし、そうであるはずの従弟のその力ない姿に、イドリルは不安げに瞳を曇らせた。
　 先の合戦から生還した者のうち、賢者達の治療の必要な者は皆このハープ家の館に運ばれた。伝承の師であるサルガントを主人とするこの館には薬草や傷の治療に秀でた賢者達が集まり、女達は彼らと共に、負傷者の傷口を縫い薬を塗り介抱に努めた。しかしエルダールはヒルドールに比べて目前の痛みに堪える力が弱く、この都まで生きて戻りながらも、傷の痛みに耐えかねて回復を待たずにやつれ、死んで行った負傷者も多かった。
　イドリルは夜着の上に力なく伸べられた従弟の手にそっと触れた。
　 重い手は悲嘆の闇に囚われた者のように冷たかった。
　「痛みの程は？」
　「昨夜よりは治まっておられるはず。」サルガントは、イドリルの不安に気づきなだめるように言った。
　 「マイグリン殿は剛勇の士、傷の痛みに耐えかねて死者の家に赴くような腰抜けではありませんぞ。」
　「ええ…。」イドリルは頷いた。

>>>>>> Ear -the Great Sea-