|
美酒はそこに… |
近づく夏の気配―――。
そう言っても、そこでは空の明るい時間が、冬と呼ばれる季節よりもわずかに増すのみである。
地熱の高さでわずかに花を咲かせる土地もあるが、大半は夏と言えども雨の代わりに雪の降る氷雪の地。
冬将軍も、数多の雪や氷の精霊もその地で生まれたと聞いて誰が異を唱えるだろう？
白い氷の大地、黒い岩。
灰色の曇天の下には雪の女王の居城さえあるのだから…。
女王、その名を北欧の神オーディーンの地上代行者ポラリスのヒルダ。
その祈りは火照る大地の熱をうばい両極に氷の砦を作る。
それは、数千年に及び地上を水没の驚異から守ってきた砦だった。
まことの女王もお伽話に違わぬ氷の様な美貌の持ち主であったが、その手は暖かく心根は春の陽の慈愛に満ちていた。
この氷雪の地にあって、それでも民が雄々しく生きて行くのも一重にこの女王の愛の深さゆえだった。
しかし、今、雪の女王の居城は沈黙に覆われていた。
突如、女王の慈愛の手が、黒い鉾を握ったのだった。
そのたおやかな身に赤と黒の戦装束をまとい、伝説の神闘衣を復活させ、神の戦士を選び出したのだった。
『アテナの聖域を討つ、そして一挙に陽の当たる大地へ攻め入ろうぞ。』
七人の神闘士を前にその手の鉾を振り上げヒルダは言った。
女王の豹変振りにとまどいながらも、南の地への誘惑は戦いに異を唱えるものの口を閉じさせた。
後には、戦いに選ばれた勇者達の神闘衣をまとった固い足音だけが柱廊にこだました。
＊ ＊ ＊
宮殿の西北。
そこは、半ば水晶の森と化していた。
これが澄んだ白い水晶であったなら、氷と雪の大地のなかで、ただ自然の驚異と見えたであろう。
しかしそれは、紫の水晶だった。
森の中、人の背たけほどのそれが、雪の上に林立する様は、既に自然の手を離れ、立ち並ぶ巨大な墓標のように凶々しかった。
いや、実際それは墓標であり、柩そのものだった。
それと知って、この巨大な水晶を覗き込むなら、人はそこにあらゆる段階の死の過程を見れたであろう。
衰弱したもの、やせ細ったもの、骨と皮、皮をまとった骸骨、そして骸骨と、濁りばかりになった骨の影…。
それは、中に取りこんだ生き物の生気を吸い取る魔の水晶だった。
水晶の大きさが中に取り込んだ物の大きさとするなら、その森の水晶は大半が人を封じ込めたものであることだろう。
先を行く兵士の足は、脅えて落ち着かぬ足取りだった。
自分が一人でないことを確かめるように、幾度も幾度もジークフリートを振り返る。
わずか一週間余りのうちに、よくこれ程の数の墓標を立てたものだとジークフリートは眉を寄せる。
いずれも、何等かの形でアルベリッヒの意に逆らった者達なのだろう。
「あれです。」
兵の示す先、水晶の林立するその間に、報告を受けたものを見つけジークフリートは大きく息を付いた。
「お前はもう戻っていい。」
その言葉に兵は不安げな瞳をジークフリートに向けながらも、飛ぶように道を戻って行った。
まだ、生きているだろう人間が断末の表情で封じ込められた水晶など二度も見たくは無いだろう。
「なんてことだ…。」
悪趣味にも、兵士を封じ込めた水晶を守るように並べた奥に、それは並んでいた。
ワルハラ宮の高官達…。
いずれも、立派な礼装で水晶に封じられているのは、アルベリッヒがどのような名目で呼び出したからであろうか？
いずれもがおよそ信じがたい恐ろしい形相で封じられていた。
死への恐怖はこれほどに人の顔を変えるものなのかと、ジークフリートはその一つ一つを覗き込んだ。
まだ、生きているかも知れない、しかしその紫水晶の中から人を助け出すことは、封じ込めた者以外には不可能だろう。
水晶を破壊することなどジークフリートには一瞬の事だったが、それは同時に水晶に覆われた中の人間までも破壊してしまうことになるにちがいない。
「アルベリッヒ、どこにいる！ 出てこい！」
水晶の森にジークフリートは声を響かせた。
宮殿にいなければ、もっぱらこの森を散策していると聞いていたのだった。
「あなたも裏切り者の処刑をご覧になりにいらしたのですか？」
はたして、高い木の上から、ふわりとその体が舞い降りた。
青く水晶にも似た透き通った色をした神闘衣をまとって……。
「どうゆうことだ、これは？」
返ってくる言葉など、知れていたが、ジークフリートは問う。
「ヒルダ様への反逆を試みていたのです、ですから、処刑しました。」
「お前にそんな権限があったのか？」
「ヒルダ様はお喜びですよ。」
にやり、アルベリッヒは笑って見せる。
「それに、私たちが何の制約を受けねばならないのです？ 私たちはヒルダ様に選ばれた神の闘士ですよ？」
ジークフリートもまた神闘衣をまとっていた。
それは右肩に竜頭の意匠のあるアルベリッヒとは対照的な重厚な闘衣だった。
「出してやれ。おおかたお前が罠にかけたのだろう。」
「それなら、尚のこと出してやるわけにはいかないじゃありませんか。」
つっと、アルベリッヒの小柄な肢体がジークフリートに近づく。
「彼らはまだ生きている、目も見えますよ。」
そう耳打ちして、彼はジークフリートの首に手を回し深く唇を合わせた。
「何が何でも、解放しないつもりか。」
「そうです。」
見上げる緑の瞳が、楽しげに光っている。
十八、その整った顔は無邪気ですらあるのに、決然とした口調はすでに策略を巡らせ始めた軍師のそれだった。
「彼らは、ヒルダ様に代わり新たな地上代行者を擁立しようとしていたのですよ。」
「馬鹿な。」
ジークフリートは笑った。
北極星ポラリスを守護星に持って生まれた者でなくては、地上代行者は勤まらぬ。
「そうです、それこそこのアスガルドの滅亡を招いてしまう。だから、ああしたのですよ。」
どこまで真実を言っているのか、分かったものではない。
あの高官達がヒルダの行いに異を唱えていたことは確かであったが、仮にも長い年月をこのワルハラ宮に仕えてきた識者達が、そんな愚かなことを考えるだろうか。
「したい放題だな。」
その言葉に、アルベリッヒの喉が笑いに揺れた。
かつて、その自分の行いを戒めたヒルダは、今は殺戮の煽動者だ。
「熱い。」
ジークフリートの手を自らの足の間に導きアルベリッヒは言った。
場合によっては、この男も殺さねばならなくなる…。
だが出来れば生かしておきたい、この男は人を引き付ける力を持つ男だ…。
「…もとより、あいつ等を助ける気などないのだろう？」
体をよせ、アルベリッヒはささやいた。
「お前の強情さは分かっているからな。長老方には気の毒だが。」
アルベリッヒ家の名と神闘士の名を持ってすれば、高官達を反逆の廉で処刑したと伝えても人々は十分納得するだろう。
処刑した一族の反乱や反感も、このアルベリッヒならそうそうに片をつけるに違いない。
出来れば水晶を砕くぐらいはと思いはしたが、高齢がゆえだろうか、顔を上げれば既に水晶の中身は高価な衣装をつけたミイラと化していた。
「技を上げたようだな。」
神闘士の技は、操るコスモの大きさに比例する。
コスモは気力の充実にも比例し、それはアルベリッヒがどれほど力を蓄えているかを物語っていた。
「ジーク…。」
その媚態をどこまで分かっているのか、片目に掛かる髪をかきあげて、アルベリッヒは緑の目を輝かせる。
「死人は何も言わない…。」
「この雪の上でか。」
「技を使って、体が火照っている。丁度いい…。」
ジークフリートの目が細められる。
「よかろう。」
ジークフリートは言った。
ミイラの目にそれがどう映るかは計りがたいが、命を無くしたものはもはや人ではない。
「その曲がった骨、抜いてやる。」
アルベリッヒの赤い髪が揺れた。
＊ ＊ ＊
「気持ちがいい。」
素裸の体を雪に横たえてアルベリッヒは言った。
「そうだろうとも。」
神闘衣とすべてを脱ぎ捨てたジークフリートは笑った。
小さな揺り籠のなかで、眠ったまま伸びをする赤ん坊にアルベリッヒの姿は似ていた。
可能性と希望に満ち足りた姿だ。
「ジーク…、いい名前だ。」
そう言って、アルベリッヒはジークフリートの背に手を回した。
言葉通り、その体は熱かった。
ジークフリートの舌先がアルベリッヒの襟元を這う。
声をもらし、アルベリッヒは体を震わせた。
「早く…。」
待ち切れぬと言うように、足を絡ませる。
高ぶりも、熱くそこにあった。
「まだだ。」
絡みつく足の間に体を割りこませ、指先でその体をなぞってやる。
首をのけ反らせ、アルベリッヒは身悶えた。
はらりと赤い髪が雪の上に広がる。
ジークフリートを引き寄せようと半身を起こそうとする。
それをジークフリートの片手が、雪に押えつける。
恨めしげに睨つけながら、アルベリッヒはジークフリートの胸に手を伸ばす。
「名前に相応しい、美しい体だな。ジーク…。」
無駄な筋肉の無い、しなやかな四肢。
淡い金の髪に縁取られた、無感情な顔は、王の傍らに頭を上げる獅子か豹のようだ。
「お前に、そんな事を言われるとは思ってもみなかったぞ。」
笑う、それすら笑みを持たぬ獣に無理やり笑みを作らせたような冷たいものがある。
この男をひざまずかせたい、アルベリッヒは思う。
殺すよりも…。
そう、ひざまずかせ、足もとに…。
「あ・あ…。」
耐えられず、愛撫する手を掴む。
「アル。」
降り払われ、その両手を頭上に押さえられる。
腕を胸を、遊ぶようにジークフリートは指を滑らせる。
息が、上がっていく。
「…ジーク。」
緊張に固くなった胸へ、熱い舌先が触れた。
こわ張った体が、次の瞬間には溶けるように緩む。
息を抜くようにかすれた声をあげ、腰を揺らす。
執拗に舐め続けられ、切れ切れの息に頭が熱くなって行く。
もう一度、その体を引き寄せようとして、アルベリッヒは失敗する。
片手が、下肢を焦らすように滑る。
「ジーク…。」
腰を揺らす。
そこにあるものに触れて、ジークフリートがつぶやく。
「もう、こんなに固くしているのか？」
腰をよじる、その爪先が雪をかいた。
「早く、ジーク…。」
ジークフリートは笑い、やっと、肌を重ねる。
甘い声をあげ、アルベリッヒはきつくその背を抱いた。
「しかたのないやつだ。」
引き締まった滑らかな皮膚を確かめるように、脇に手を滑らせて腰を抱く。
そうして、滴りをもらすものに目を止めて、ジークフリートはそれを吸った。
「だめ……！」
アルベリッヒは叫んだ。
「大丈夫だ、いかせん―。」
押さえるように手を添えて、ジークフリートはそれを舐め上げる。
切れるような声をあげて、アルベリッヒの胸が反る。
両手に雪が握り潰され、雪片が飛ぶ。
「あ・ああ……！」
狂う。
「ジーク、だめ…。ジーク…。」
口の端から、甘い唾液がつたって行く。
悶える体を、ジークフリートは裏返した。
獣のように突き出された腰に、ジークフリートのものが深くつきささって行った。
＊ ＊ ＊
「今はまだ、神闘士の復活が民に知られては困る。」
アルベリッヒは言った。
そして、民を導く神の地上代行者ポラリスのヒルダが、その平和を愛する慈愛の手に黒い鉾を握り、戦装束をまとったことも…。
言い伝えには、神闘士の復活はアスガルドが何等かの危機に瀕した時と言われている。
その上、神の名の元にまとめられた国がその教義に反する行いに出るとあっては、民の混乱は想像に余りある。
シドが聖域へ戦線布告に出向き、敵の出方を待っている今、内乱は確実にこちらの首を絞める。
不安の芽は見つけたならすぐに摘まねば危険だ。
すべては、事の済んでから…。
自分がこのアスガルドを取ってからだとアルベリッヒは思う。
それは明日か明後日か、彼が思い描いた通り事が運ぶなら、それはもう間もなくの筈であった。
「楽しそうだな。」
湿った髪を振って、ジークフリートは体を起こす。
雪の上にあって、一糸まとわぬ二人の肌は上気していた。
「聖闘士との戦いが済んだら、お前も最後だ。ジーク。」
「それは楽しみだ。」
ジークフリートもまた、たちの悪い笑みを浮かべる。
「お前の王国を作るのか？」
「そうだ。従うなら今のうちだぞ。」
「残念だが、私はもう王侯の小姓になれる年ではないな。」
笑う。
「…がんばるんだな。たっぷり邪魔してやるよ、かわいいアル。」
戦いの高揚も、寝台で身を絡ませる高揚もかわらない…。
断末の叫びと、果てる呻きが似ているように…。
神闘衣をまとい二人、雪に立つ。
それは確かに伝説の神闘士の姿だ。
互いの姿を見て、互いに笑う。
「あなたの拳が見たい、砕いてはくれませんか。」
示す先に、先ほどの水晶の列柱があった。
最早、人影も衣の切れさえもない。
「見事でしょう。完全に吸収した。」
「まったくだな。」
「あなたのときは吸収させず、そのままで未来永劫残るようにしますよ。」
「ありがたいな。」
構えて、撃つ。
白く光を伴った拳は、一瞬に水晶の列柱を粉砕した。
ざらざらと音を立てて、細かな結晶にまで砕かれた紫水晶が雪の上に降り落ちる。
アルベリッヒは満足げにそれを見る。
やれと言えば、この男は喜んで死人の国でも作って見せるだろう、ジークフリートは思う。
自信に満ちた瞳は、憎らしいほどに輝いている。
「今夜も、来るがいい。」
ジークフリートは言った。
「分かりました。ジークフリート近衛隊長。」
その背へ、アルベリッヒは答える。
＊ ＊ ＊
吹き荒れる風。
風のままに渦を巻き、宮殿を包む雪。
雪、雪、雪。
アルベリッヒは、羊皮紙の束をめくって行く。
主神オーディーンが編み出したと言うルーン文字は、数百年前に伝播したローマ文字に取って代わられ、今は、神官や学者達がわずかに読むばかりである。
ローマ文字を伝えたのは、キリスト教の宣教師だと言う。
およそ他の南の土地には言い伝えほどにしか知られていないだろう、この神の国アスガルドをよくぞ見つけ出し、たどり着いたものだとアルベリッヒは思う。
もっともたどり着きはしたものの、直接神の加護を受けていると言うこの国で、新たな神の入る余地もなく、南の文化を伝える意外には徒労に終わった宣教師がその後無事、故国へ帰り着けたかは定かではない。
ただの人の身では入ることも出ることも難しい、雪と氷に閉ざされ、吹雪のベールをまとう神の国アスガルドである。
たどり着けるのは、神に導かれたものであり、そしてこの地に何かを成せる者は神の技を持つ者以外にはないだろう。
七日前、ヒルダはその祈りをあげる岬で、巨大な波にその身を洗われた。
神闘士を選び、伝説の神闘衣を復活させたのはその次の日のことだった。
装飾も好まなかったその白い指に、絡みつくように嵌まった太い金の指輪がアルベリッヒの目を引いた。
聞き覚えのある、意匠だった。
その輝きは、正に純粋な金。刻みは人の技を離れた細微な模様。
―――ニーベルンゲン・リングか？
伝説に、無限の富と権力と多くの不幸を呼ぶ指輪と言われている。
神話の時代、アルベリッヒと同じ名を持つ闇の精霊が、鍛え作り上げたという呪いの指輪。
いかにして、ヒルダがその指輪を手にしたのか、しかし平和を愛したヒルダのその余りの豹変ぶりは、その指輪の力が言い伝えよりも遥かに凶々しい物であることを伝えていた。
伝説の川よりすくい上げられ、指輪となり地上を巡ったそれは、また水中に戻りその威力を沈めたという。
では最後に、指輪を得たのは？
オーディーン神の文字がすたれたように、神自身もすたれることがあるのだろうか？
だがいかなる神を仰ぐことになろうと、今、事態は自分に都合のよいほうへ進んでいる。
ニーベルンゲン・リングが邪悪の指輪であれば、それは伝説のヴァルムングの剣でたやすく打ち破れるはずである。
そして、ヴァルムングの剣を手に入れるために必要な七つのオーディーン・サファイアは神闘士達の神闘衣に嵌め込まれてよみがえり、手を伸ばせば届く所にある。
もっとも届くとは言え、自分以外の神闘士からは、懐柔するか殺さぬことにはその神闘衣の守護石であるオーディーン・サファイアは奪えぬのだが……。
それでも、アルベリッヒは笑う。
秩序より混乱が望ましい。
秩序だったものをもう一度秩序だてるのは難しいが、混乱なら思うままに秩序だてて見せよう。
アスガルドを取り、地上を取り、自分の思うままに…。
その主の後ろで、その思念に呼応してか彼の神闘衣が不吉に光る。
何ゆえにか、その神闘衣はヒルダより授けられた時から艶やかな人の頭蓋骨を台座にしていた。
古代の戦いでは、その勝利の証に敵の首を取ったという。
それでは、この五つの骸骨は敵の首だろうか？
それには少なすぎる…。
では、この神闘衣をまとったかつての神闘士達の首だろうか？
ならば、この神闘衣はまとった者の首を取ることになる。
「―――かまわん。すべての望みを果たした後なら、この首いくらでもくれてやる。」
微笑してそう言った。
まるで悪魔との契約のようなその言葉に、デルタ星メグレスの守護を持つ神闘衣は妖しく輝いた。
＊ ＊ ＊
ひそめるような、それでも通る少女の声。
静まり返った回廊の奥から聞こえるそれに、アルベリッヒは聞き耳を立てる。
―――あなたはお気付きのはずです。
少女の必死な声が言う。
―――お姉様は人が代わってしまっている、ジークフリートあなたなら…。
答える声は低く、アルベリッヒには聞き取れなかった。
やがて、長い金髪の少女が力無くうなだれて、アルベリッヒのもたれた柱の向こうを過ぎて行った。
「なんと、答えたのです。」
後を追うようにジークフリートの私室へと滑りこむ。
ジークフリートはその身の神闘衣を脱ぐところだった。
「聞いていたのか。」
「偶然です。」
「私の使命は、ヒルダ様の命を御守りすること。お前は知らんが…。それ以外に何を言う？」
「フレア様も可哀相に。」
「言うな…。」
そう言った無表情な横顔をアルベリッヒは見つめる。
「…聖域のスパイを捕まえました。」
「ほう。」
「口が固く、今、拷問を与えていますが。スパイに入ってくる者ではおそらく青銅クラスの聖闘士でしょう。ご覧になりますか？ 金髪のなかなか美しい少年でしたよ。」
ジークフリートは笑った。
「いや、けっこうだ。それでお前の計算ではいつアテナは来る？」
「おそらくは、明日中。あのスパイに吹きこむだけ吹きこんで逃がせばもっと確実でしょう。」
「そうか。楽しみな事だ。」
吹き荒れる風の音。
けれど、夜明けには止むだろう。
明日はまた、穏やかな日がくる。
「では、明日のお前の勝利を祝してやろう。」
差し出された杯を、アルベリッヒは高く受け取る。
「では、あなたの勝利も…。ジーク、その名にかけて。」
「よかろう。」
酒を飲む、杯を交わす。
ほんの数回で大振りの瓶も空になる。
「もっと、うまい酒を飲ませてやろう。」
言ってジークフリートは立ち上がる。
そこに置かれた双頭竜の神闘衣の姿に目を細めながら、アルベリッヒもまた後を追って立ち上がった。
＊ ＊ ＊
甘い息を吐き始めたアルベリッヒをジークフリートは見下ろす。 しなやかな戦士の体。
無駄なく機能する、その肉と頭脳。
「ジーク。」
ためつすがめつ見下ろされ、居心地の悪さにアルベリッヒは身をよじった。
「やめろ。」
「何をだ？」
そう言って、また、色づいた胸に舌を這わす。
ピクリと体が反応する。
「いい子だ。」
その端正な顔に笑みを見せて、こうしてこの男は、自分を牢に閉じ込めなぶりさえしたのだ。
見下ろすその胸にかかる金髪を、アルベリッヒはわしつかむ。
「好きだよ、ジークフリート。」
「ああ。」
にやりと、それが本性だとアルベリッヒの思う笑みをジークフリートは浮かべる。
控え目な忠義面も上品な容貌も勇者の誉れも、この笑みの前ではすべて厚くかぶった仮面に思えるではないか。
「気違いめ。」
善にも悪にも成り代わり、あらゆる者に姿を変えると言う火の神ロキのようではないか。
「ああ。」
意に介すでも無く言葉を返す。
この男の神闘衣が竜であるのは、その本性ではないのかとアルベリッヒはふと思う。
そう思えば、自分の神闘衣の髑髏もつじつまが合うものだ。
苦笑いするアルベリッヒを、ジークフリートは抱き起こす。
「何を考えた？」
「お前は、竜を倒した勇者ジークフリートではなく、悪神ロキじゃないかと思ったんだ。」
「それは、死んだジークフリートを焼いて、天を浄化する火の神だろう。」
「そうだ。」
何か腹立たしく、アルベリッヒはジークフリートの腕を抜け出す。
「やはりお前は、八つ裂きにして樹霊の餌食にしてやろう、姿を残して置くのもいまいましい。」
声を立てて、ジークフリートは笑った。
「いいとも、好きにするがいいさ。殺されてまで文句は言わん。」 言って、アルベリッヒの手を掴む。
「だが、そこまでされるのでは、今のうちたっぷり楽しませてもらうぞ。」
逃れる間もなく、その腰をアルベリッヒは立てられた。
＊ ＊ ＊
「ク……ッ。」
息を詰める。
ゆっくりと押しこまれてくる感触に、下肢は脅えながらも疼く。
ひどく奥まで侵入されたようで、それは、まだほんの始まりだった。
「あっ。」
いたずらにジークフリートは腰を引く。
そしてまた、ゆっくりと入ってくる。
歯を食いしばり、シーツを握りしめ耐える。
じわじわと焦らされる、それは拷問だ。
全身の官能を爪弾かれ、狂ってしまえば快楽のそれが、理性のあるまま一点を攻められるのは全身を望みもしない恥辱に染められる。
「力を抜け、アル。」
言葉をかけられるのが、恥辱を増すのを知っていてジークフリートは呼びかける。
それを分かっていて力をぬける程、アルベリッヒはそんな駆け引きには長じていない。
なおさらに力を入れて、よりきつくシーツに爪を立てる。
やっと納まったらしい感触に力を抜くと、たちまち激しく腰を引かれる。
熱い感触が腰を抜け、アルベリッヒは呻きを上げる。
「ジーク……。」
「これからだ、まだ音を上げるなよ。」
押しこまれ、引かれる。
くり返されて、アルベリッヒのそこは震え始める。
ぬめりがあふれ、かみ締めていた口から甘い声がもれる。
熱い息を吐く。
高揚に、下肢の疼きが上がる。
こらえるように、頭を上げ、アルベリッヒは首を振った。
髪が張り付く首筋に、ジークフリートの唇が触れる。
濡れた首筋を舐め上げ、片手は疼き上がるアルベリッヒの前に回る。
指先が、遊ぶようにその上を動く。
アルベリッヒは首を振る。
「どうした？」
甘く呼びかける。
アルベリッヒはまた首を振る。
低く笑って、ジークフリートの手はそれをつつむ。
深く扱かれ、アルベリッヒの体は硬直する。
眉を寄せ、首をのけ反らす。
「いい…、ジーク……。」
アルベリッヒは体を起こす。
ゆるく、きつく扱かれ、アルベリッヒの腰が揺れる。
ジークフリートの股の上に座るように膝を付き頭を上げる。
その胸から首へジークフリートの指がまさぐって行く。
「は…あ……。」
胸をそらせる。
その体を、ジークフリートは突き上げる。
揺らされるままにアルベリッヒは体を開く。
「素直になったな。」
「貴様の…所為だ。」
下肢のものが、ジークフリートの手のなかで放つ時を求めて震え始める。
「いくか？」
「…ま…だ…。」
「贅沢なやつだ。」
甘い笑いをもらして、ジークフリートは腰を引く。
体をこわ張らせたアルベリッヒを横たえて、開かせた足の間にまたゆっくりと、侵入する。
その足が、引き寄せるようにジークフリートの腰に絡んだ。
熱を持った瞳を見開いて、揺れるジークフリートの髪をアルベリッヒは手に絡ませる。
「ジーク。」
その顔を引き寄せる。足を絡ませた体をきつく絞める。
唇を開き、アルベリッヒは小さく舌先をのぞかせた。
「お前は蛇か？」
「竜だ。」
その言葉に、ジークフリートもまた舌先のぞかせる。
唇を重ねる。
―――殺してやる。
高揚するままに、ジークフリートの舌を吸いアルベリッヒは思う。
殺される前に殺せばいい。
自分は老いた竜ではない。
闇の精霊の血を引く竜だ。
樹木を従え、吐く息は生き物を水晶で固める竜だ。
勇者などには、負けはしない。
「どうしてやろう？ お前を…。」
「お心のままに、王よ。」
その低い声でささやいて、ジークフリートもアルベリッヒの赤い髪をつかむ。
なんと鮮やかな、血の色か。
その首筋に歯を立てる、痛みに呻くのを癒すように舌を這わす。
かすれるような声をあげ、アルベリッヒは身もだえる。
「もっと…。」
熱く疼き上がる、希求。
すべてを手に入れてやる、この地上のあらゆる物を…。
いつか、神さえ、手に入れてやる。
そして…。
「ジーク…フリート…。」
神々の希望さえ託されたと言う伝説の男。
「アル。」
なまめく体を、見下ろす。
炉の火に汗をきらめかせる様は鱗のようだ。
腰を引き、もう一度、ジークフリートは貫いた。
甘く、断末の声が上がる。
熱い、竜の血があふれた。
＊ ＊ ＊
青く燃え上がる炎の向こうに、女王は座していた。
右の手には黒い鉾。
左の手には黄金の指輪。
七人の神闘士が、その前に様々な神闘衣の威容を見せてずらり、ひざまずく。
「フレアはまだ見つからぬのか。」
「はい。」
うやうやしく、近侍が答える。
朝の吹雪の止むのを待ったように、ヒルダの妹フレアの姿が消えた。
申し合わせるように、拷問を与えていた聖域のスパイも逃亡していた。
しかし、監視の無い女王の妹はさて置き、牢につないだスパイがそう簡単に逃げ出せるほど宮殿の警備は手薄だろうか？
「アテナの聖闘士と逃げ出すほど、フレアも愚かではあるまい。」 ヒルダは言う。
しかし…。
ジークフリートには斜め後ろに控えているだろう、メグレスの神闘士のうつむいた下の顔が見えるようだ。
その目もとには、微かに笑みが引かれているに違いない。
だが、戦いなどという文字のおよそ似合わぬあの少女には、いっそこの戦色の宮殿になどいない方がよい。
邪魔にされ水晶漬けにされるよりは、少なくとも美しい少年だとこの神闘士の言った、聖闘士と逃げ出したほうが似合いだろう。
曇天を映した高い窓から、黄金の太陽の光が広間を照らした。
玉座の前の燃え盛る青い炎は色を無くし、神闘士たちは眩しげに目を細める。
「ほう、アテナがこのアスガルドにお越しのようだ。」
ヒルダの黄金の指輪も輝く。
「―――出迎えだ、我が神闘士達よ。」
黒い鉾が振られた。
「行くぞ。」
にやりと笑みを向け神闘士の長、アルファ星ドウベのジークフリートは立ち上がった。
緑の目を策略に輝やかせ、デルタ星メグレスの神闘士は答えを返す。
士気をあげ、神闘士達は氷の大地に降り立った。
アスガルド、そこは彼らの祖国だ。
十二時間の戦いの幕は、切って落とされた―――。