ファフニール

　石の地下道に、足音が響く。
　一つ、二つ……。
　………。
　……。
　気の遠くなる程の時間をかけて、ゆっくりと、それは近づいて来る。
　カッツ、カッツ、カッツ、カツン…。

　錠前がはね。鉄の、扉が開く。
　明かりに慣れぬ目をしばたいて、松明を持つ男の姿にアルベリッヒは唇をかむ。
　「牢につながれる気分はどうだ？」
　明かりを高くかざして、ジークフリートは言った。
　両手を鎖で壁につながれ、立ちつくすアルベリッヒの姿がそこにあった。
　「よくも私を――。」
　「権力とはこういうものだ。」
　ジークフリートは笑った。
　「安心しろ。このことを知っているのは、近衛のわずかな者だけだ。」
　「なに…！」
　ジークフリートの号令一下、抵抗する間もなく手足を縛られ牢へ入れられた。
　それが、同じ近衛士官に知れている、それだけで屈辱には十分だ。
　「お前が命令しても誰も動きはしない。私が命じれば総べてが動く。これが権力だ。」
　そう言って、手にした松明を壁に差し、ジークフリートはアルベリッヒに近づく。
　「来るな！」
　「何故だ？」
　答えられぬ緑の瞳を見下ろして、ジークフリートの長身が近づく。　その手が、あごへと伸びる。
　「触れるな！」
　顔を背ける。両手をつながれていては、それがやっとの抵抗だった。
　軽く笑い、再びその指が口元へ伸びる―――。
　首を振り暴れる頭を抑え、あごを抑えて口を開き深く口付ける。　うめく口中に、赤い蛇を追い、絡め捕る。
　「ほう、さぞかし喉も渇いているかと思ったが、それほどでもなかったか。」
　唾液に塗れた口の端を拭って、ジークフリートは言った。
　「だが、せっかく持って来たのだ、飲んでもらおうか。」
　錠を外し扉を閉め、傍らに置いた皮袋から葡萄酒を取り出す。
　「もう、暴れるなよ。腹も空いていることだろう。」
　がしりと長い指が顔をつかみ、あごを開く。
　ゆるいコルクを指先で飛ばし、その赤い液体をあおり、アルベリッヒの口に流しこむ。
　「……！　何を入れた！」
　息苦しさにこくりと飲み干し、喉をかすって行った異物感――。
　「今に解る。――痛い思いだけでは可哀相だからな。」
　「貴様、一体…。」
　そこまで言って、つい先日のことを思い出したのだろう、アルベリッヒは微かに顔をひきつらせた。
　その様に愉快げに笑い、ジークフリートは部屋の隅から椅子を引き寄せる。
　「もう一口飲むか？」
　「いらん！」
　たった一口の酒が、空の胃袋に痛いほどにしみる。
　笑って、ジークフリートは残りの酒を平らげる。
　「地上の王になる、か―――。」
　そう言って、ジークフリートは両手を壁につながれたアルベリッヒの姿を見る。
　「いい格好だな。もっとも王と言っても時にはつながれ、首を落とされもするのだから、そういう目に会うのも満更ではないか――」
　「うるさい！」
　「気を落とすことはない、少なくともこの牢は普通の罪人をいれる牢よりは高級だ、オーディーン像の足の下にあるのだからな。」
　「なに？」
　延々と地下を引かれて来たが、自分がそんな所に居るとは思いもしなかった。
　「牢と言うよりもここは……、何代か前のオーディーンの地上代行者が、白子や奇形児、このアスガルドで凶兆と言われる双子の不幸なかたわれ、狂人、そんな世に出れぬ者、家のために出してはならぬ者をここで、闇へ葬ったのだそうだ。オーディーンへのいけにえとしてな。」
　「聞いたことのある話だ。……オーディーンから与えられた命をむやみに断てぬ代わりに餓死をさせたと…。」
　「そう、それがここだ。いかに叫ぼうと誰にもその声は届かぬ。――この前のように、声を押し殺す必要はない。」
　「な…。」
　アルベリッヒは言葉を詰まらせた。
　あれきりではなかったのか――。
　いや、予想しなかった訳ではない。
　だが、よりにもよってこのオーディーン像の地下でなど――！

　―――男に抱かれる。

　数日前、その自尊心を打ち砕くような野蛮な行為に、アルベリッヒはただ音を上げぬことで耐え抜いた。
　睨つける。
　どうすればいい？
　「言葉もないか？」
　「気違いめ！」
　「何とでもいうさ――。この牢の居心地はどうだ？　風も入らぬし地熱も高い、暖かくてよかろう？お前では、怨霊の泣き声など聞こえまいしな。」
　オーディーンの地上代行者ポラリスのヒルダを守る戦士達の中でも数少ない、自然を操る技を持つアルベリッヒ。
　このアスガルド屈指の名家の長子である彼は、しかし平和を祈るヒルダに仕えながら己の技のためには、人を虫けらのように死に至らしめることも何とも思わなかった。
　「人間など、この地上にはいて捨てるほどいる。人の一人や二人殺した所で何だというのです？」
　呼び出され、その行いを正され、アルベリッヒは吐き捨てるように言った。
　「では、行いを改める気は無いのだな。」
　「私に指図は無用だということです、近衛隊長。」
　「なるほど、だが聞いてもらわねばならぬ事はたくさんある。――服を脱げ。」
　ジークフリートの静かな声が、そう言った。
　「は？」
　「…お前の立場を良く分からせてやろう、近衛を除隊させられたくなかったら服を脱げ、裸になって私の前に来い。」
　「！　貴様、アルベリッヒ家の長子に！」
　「その長子が、行い悪く近衛士官を下ろされたとなっても良いのか？」
　いかに良い家柄であったろうと、戦士たちの中で信望を得るものは強さと、その人格。
　アルベリッヒのこぶしが震えた。
　いかに貴重な技を持った戦士とは言え、戦士達の頂点に立ち信望を一身に集めるこの男に、ワルハラ宮に入ってまだ日も浅い自分が太刀打ち出来ないことは明白だった。
　冷ややかな視線の中で服を脱ぎ捨てる。
　ワルハラ近衛隊隊長ジークフリート、アスガルド戦士の事実上の総指揮官。
　その男が、戦士達の裏の嗜みを知らぬはずがなかった。
　長椅子に引き寄せられ、横たえられる。
　皮膚を貪られ、そして貫かれた。
　その屈辱と痛みに、音を上げぬことだけでアルベリッヒは耐えた。
　「覚えていろ、必ず貴様を私の前にひざまずかせてやる。」
　部屋を出て行くジークフリートの背にアルベリッヒは叫んだ。
　「地上の王になって、貴様を奴隷にしてやる！」
　「やってみろ。」
　子供のように愉快げに笑って、ジークフリートは言った。

　そして、投獄されたのが恐らく昨夜―――。
　暗闇の中に置き去りにされて時間の感覚を無くしている。
　全く明かり取りのないこの地下牢は扉を閉められれば、自分が目を開いているかいないかも分からない漆黒の闇になる。
　物音も何も無く。
　気の弱いものなら、精神に変調をきたし、やがて狂って行くだろう。
　ここに入れられた者は、文字どうり闇に葬られることになる……。
　雑兵を、樹霊を操る技の餌食にしようとした所をまんまとジークフリートに見つけられ、待っていたように投獄された。
　恐らく見張られていたのだろう、うかつにも気づかなかった。
　「少しでも怖い思いをしたか？」
　「いや。」
　ここで見殺しにされる、その不安だけは微塵もなかった。
　自分とは違い、目の前にいる男は人の命とやらを大切にしているらしい。
　それゆえに、アルベリッヒはここに来るはずの人間をただ待った。
　「お前には怖いものなしか。」
　飲み干した葡萄酒の瓶をもてあそびながらジークフリートは言った。
　「この瓶でも、お前の体の中に入れてやるか。」
　「馬鹿なことを言うな！」
　「楽しそうだ、良い格好になるだろう。」
　冗談、では無いらしい。
　アルベリッヒはつながれた手のひらをぎゅっと握りしめる。
　足も使える、体も動く。
　相手がそれを持って近づいて来るなら、向こうが根負けするまで暴れるしかない。
　「きつい顔をして、どうした？」
　答えることなど無い、睨つける。
　「緑の目か、樹木を操るお前にはうってつけだな。」
　立ち上がる。椅子を後ろに寄せて、こちらに向かう。
　「来るな――。その腹、蹴り飛ばすぞ。」
　「…大層な口をきくな。…良いとも、いずれお前のほうから呼ぶことになる。」
　軽く口の端をあげて笑い、ジークフリートは言った。
　「誰が呼ぶものか！　貴様を呼ぶくらいなら、ここでミイラになってやる。」
　「ほう、良いとも。ではここで見ていてやろう。」
　目の前で腕組みした男を、アルベリッヒは軽蔑の色を浮かべて見返す。
　―――いずれ殺してやるしかない。
　何の目的があるのか、たびたび自分をこんな目に合わせるのなら、どんな手段を取ってでも殺してやろう。
　生まれも知れぬ成り上がり者が、目障りでならぬ。
　オーディーンの神官たちの頂点に立つアルベリッヒ家の、この長子を汚すとは、もはや情けを掛ける余地もないではないか。
　いずれは地上をこの手に収めようという自分を、このように扱う男は生かしてはおけぬ。
　殺意がたぎった――。
　これほど、傲慢な男の死に様はさぞかし面白かろう。
　紫水晶に封じ込め、徐々に精気を吸い取らせてやれば、いかにこの男でも許しを請うに違いない。
　それでも、干からびて骸骨になるまで、放っておいてやろう。
　そして、あの男の成れの果ての姿だとさらしものにしてやる。
　ジークフリートを見詰めたまま、不吉な笑いが口を漏れた。
　「覚えていろよ、ジークフリート。」
　怪訝そうに眉を曇らせたその顔。
　「必ず貴様を殺してやる。」
　ひざまずかせ、哀願させ、なぶり殺してやる。
　「待っているさ。」
　事もなげにジークフリートは言った。
　こめかみに血が上る。
　かみ締めたアルベリッヒの奥歯がギリリと鳴った。
　「…そんな顔ももう出来なくなる。」
　ジークフリートは薄く笑った。
　「何？」
　「そろそろ薬が効いて来ただろう。」
　―――下肢が、だるく熱い……。

　「くっ。」
　ガチャリと鎖が鳴った。
　予期するものも無く、下肢のものが頭をもたげはじめた。
　「さ、さわるな！」
　ベルトにかかる手に言う。
　「そのままではつらいぞ。」
　身を強張らせるアルベリッヒの、衣服をゆるめる。
　「うくっ。」
　抑えようと苦悶する、しかし、心の作用しないものを抑えるなど方法があるだろうか。
　「無理だ。アルベリッヒ。」
　「よくも、こんな卑劣なまねを！」
　切れ切れに言う。息が詰まる。
　「お前は私を楽しませてくれる。」
　「下衆め！」
　「口が悪いな、アルベリッヒ家のご長子よ。」
　「殺してやる！」
　悔しさに、濡れるものが頬を落ちた。
　「殺してやる！　ジークフリート！」
　「…ああ、良いとも、アルベリッヒ。」
　「あうっ！」
　服の上から、ジークフリートの指がそれをなぞった。
　ガチャッと、また鎖が鳴る。
　「触れるな！」
　「ほう、抑えられるのか？」
　掻くように撫でられる、一撫でで手足に震えが走るものを。
　「やめろ！」
　立っていることさえ出来なくなる――。
　「では、行けぬまま苦しみ続けるのだな。」
　つい、とジークフリートは手を引いた。
　深くアルベリッヒは、息を吐く。
　つながれた鎖をつかみ、体を起こす。
　「あ、あ……！」
　神経が、意識を散らすものを無くしてそこに集中した。
　「ううっ！」
　手のひらに食いこむほどに、冷たい鎖を握る。
　「くっ…。」
　叫びたくとも、叫ぶことは出来ない。
　切り捨ててしまいたい程に猛るものをどうすればいい――。
　「畜生！」
　行き場をなくして息が震え、体が揺れる。
　涙が、ぽろぽろと頬を落ちる。
　「もっと腰でも振るといい。良い眺めだぞ。」
　「畜生！」

　根負けしたのは、ジークフリートの方だったのだろう。
　近づき、ジークフリートは小柄なアルベリッヒの体を抱きしめた。
　震える体は、下肢の反応に反して冷え切っている。
　「素直に言えば楽になるものを…。」
　すでに言葉もないアルベリッヒが、まだ弱々しく抵抗するのを抑えて、片手だけ戒めを開き服を脱がせる。
　椅子を壁際に引き寄せ、片腕をつながせたままアルベリッヒを抱いて腰かける。
　「…はな…せ。」
　耳元に口を寄せる。
　片手を冷え切った肌に滑らせながら、アルベリッヒの襟元にジークフリートは強く口付ける。
　「アッ！」
　悲鳴にも近い声を上げ、ビクリとアルベリッヒは震えた。
　「いい子だ、アル。」
　わずかに正気が戻り、高ぶりを解放しようと解かれた片手を下肢へ運ぶ。
　その手をジークフリートがつかむ。
　「まだだ。」
　「ジークフリート！」
　どこまで苦しめれば気が済むのだ――！
　手のひらが這う。
　胸元から脇、下腹から股まで……。
　じっとりと汗がにじむ、松明の火の下で肌が紅潮する。
　切れ切れにせつない息が漏れる、涙が涸れ見開いたままだった瞳が、隠し切れぬ熱い潤みを持ち始める。
　男であれ女であれ、その愛撫の下の反応はそうかわりは無い。
　頭を撫で、また耳元に口付ける。
　「はあっ、うっ。」
　「立てるか？　アルベリッヒ。」
　問う。
　「ああ。」
　意味も分からず答える。
　その片手をつかみ、ジークフリートはアルベリッヒを立ち上がらせる。
　「いい子だ。」
　言って、ジークフリートは衣服を脱ぎ落とした。
　近衛隊隊長、アスガルド戦士総指揮官。
　若くしてその地位に立つその体は、無駄の無い肉食獣のしなやかな体……。
　「あ…。」
　それは、肉食獣に見込まれた小動物の心地だった。
　壁に後ずさる、そのアルベリッヒをジークフリートの手は後ろ抱きにする。
　「いやだ…！」
　肌を合わせられた感触に戸惑い、驚き振りほどこうとあがく。
　「離せ！……やめ…ろ…！」
　「おとなしくしているんだ。」
　ジークフリートの指がまた体を愛撫する。
　はりつめた琴線に触れるようなものだった、逆立ち集中した神経は触れる指ごとに体を震わせた。
　「あ、ふぅっ！　ああ…。」
　肩に、ジークフリートの淡い金色の髪がかかる。
　松明にちらちらと光るその髪の残光が、目に焼きついた。
　「ああっ！」
　大きく背が反る。
　秘薬のために持たせられているそれに、ジークフリートの指が触れた。
　「いかせてやる、待っていろ。」
　腰を引かれる、鎖が鳴る。
　指が双丘に滑り、探る――。
　「うっ…。」
　身をよじり、下腹を抱く腕に訴えるように自由な片手をかける。　低く笑って、ジークフリートはささやく。
　「かわいいよ、アルベリッヒ…。」
　体の芯をつかまれる感触。
　強く太くつかまれ、それに自由を奪われてアルベリッヒは腰をつき出させられる。
　「――ハァ…ツ！」
　突き刺さるように、指先が入れられた。
　押し開くように、そこでうごめく…。
　「やめ…！」
　なにか、胸の内側に生暖かい蛇を何匹か投げ込まれたような――。
　……淫らな感触が沸き上がった。
　「あ…あ……？」
　鎖と、ジークフリートの腕をきつく握る。
　息を吐くとも詰めるともつかず、唇が開く。
　頭が、のけ反る。
　「あ！」
　指がはずされた。
　別なものが、そこに触れる。
　抱き込まれ引くことも適わず。
　そして、ジークフリートの指先はアルベリッヒのものを収めなぶる。
　……割って押し入るもの…。
　「うっ………あ！」
　ズッと押し込まれたものが、腰をつかんで動かされる。
　熱い感触に悲鳴が上がる。
　嫌悪感にこわ張り、血を流す。
　その、ぬるりとした感触を厭いもせず、ジークフリートはアルベリッヒをなぶる。
　…コクッ。
　アルベリッヒの喉が鳴った、唾液が薄く開いた口の端からあごへ伝う。
　「アア…　アァ…　」
　声、まったく無意識の――。
　せつなく、体の芯を疼かせるように、甘いかすれ声が反り返った喉から漏れる。
　深くアルベリッヒの体に支配を入れながら、ジークフリートの口から喜悦の笑いが漏れる。
　「いい子だ…。さあ、行け。」
　熱い手が、アルベリッヒのものにそえられた。
　「…ジークフ…リー…ト…！！」
　―――叫ぶ。
　どこに残していたのか、唯一の、最後の、気概で……。

　…憎しみを込めて。

　　　　　　　　　＊　　　＊　　　＊

　―――。
　――朝だった。
　窓から、弱々しいがまぎれもない朝の光がさしていた。
　近衛士官のみが与えられるワルハラ宮の私室。
　意識を無くしたアルベリッヒを、この彼の部屋まで運んだのはジークフリートにほかならない。
　…かすかに、記憶がある。
　服を着せられ、肩に抱えられて、長い道を歩いた……。
　暖かな地下の空気が、肌を刺す地上の空気に変わって行くのを感じた。
　何故かその暖かな空間から出たくないと、自分が思ったことを思い出す。
　………。
　左手を見る、鎖を握りしめた手のひらと、手枷に締められた手首がすり切れて青く腫れている。
　………覚えていろ。
　体を起こす、その腰に疼痛が走る。
　呻き、アルベリッヒは動作を止めた。
　………よくもこのアルベリッヒを。

　ドアをたたく音。
　「開いている。」
　服を着た姿で、寝台に横たわったままアルベリッヒは言った。
　「失礼する。」
　片手に薬の箱を持ち、入ってきたのは近衛士官、同じ貴族の出のシド。
　「何の御用です？」
　「ジークフリートに頼まれたのだ、君が怪我をしていると。」
　冷ややかな、貴族的な容貌が、思いのほか優しく微笑む。
　「それは、面倒をおかけした。」
　「いや───。ヒルダ様には君が謹慎中落馬したと伝えておくと、ジークフリートに言われたよ。」
　「……つまり、ヒルダ様は私の投獄はご存じ無いと言う訳か…。」
　その言葉に、シドは寝台の上でアルベリッヒがかばうようにしている左腕を見る。
　「そうだ、知っているのは。私ぐらいだ。」
　その言葉に何かほっとして、アルベリッヒは体の力を抜いた。
　「手当は自分でやる、そこに置いて行ってくれていい。」
　「わかった。」
　コトリと箱をテーブルに置き。それからシドは、思い出したようにテーブルを寝台の傍らに運んだ。
　「来月始めの狩りだが……、君の休暇願と重なっている。君はジークフリートと組むことになっているが、休暇のままで良いか？」
　薬の中身を確認し、また蓋を閉じる。
　「いや―――。」
　言って、微かに眉をしかめながら、アルベリッヒは体を起こす。
　「…行く。」
　「アルベリッヒ。」
　わずかに、驚いたようにシドは眉を上げた。
　「願いは取り下げる。宮中の行事だ、まだ若輩の私が休暇などと身の程を知らぬと言われそうだ。」
　「いいんだな？」
　「困る理由があるのか？」
　「……そうだな。なにか食事を運ばせるか？　もう昼になるが。」
　「ああ、頼む。」
　シドは苦笑した、アルベリッヒのこの尊大な態度は、そう直るものではないようだ。
　「何を笑う？」
　険のある瞳を向ける。
　「なんでもない、すまん。」
　悪気はないのだが頬がゆるむ。
　強い男ではないか、ジークフリートがどんな目に合わせたか知らないが――。
　「そう、お前のことをジークフリートが……。」
　扉の前に立ち、シドは言った。
　「…かわいい奴だと、言っていたよ。」
　薬箱が飛んだ。扉でかわす。
　箱の砕ける音に、アルベリッヒの呻きが重なった。
　「―――必ず殺してやる、そう言っていたと伝えろ！」
　耳に痛いほどの声が、言った。

　「良い獲物だろう？」
　扉の向こうで腕組みしていた男は言った。
　「私は知らんぞ、ジークフリート。」
　「…ああ。」
　端麗な顔が楽しげに笑う。
　「私の竜なのだ。」
　伝説の英雄ジークフリートは悪竜を討ち、その血をあびて不死の体を得たという………。

　―――たぎり、抑えがたく血を望む。
　そは、………。

-END-