暖炉の薪がはぜる。
シベリア、短い夏の終わり。
昼の風は凍気も薄かったが、この夜には土も凍ることだろう。
・・・・長い漂流と冒険の後、乞食に身をやつして帰国したイタカ王オデッセウスは、夫の訃報を聞かされても貞節を守り続けようとする妃に言い寄る求婚者の群れを次々に、血祭りに上げて行った。・・・・
「氷河、もう寝なさい。」
手の中の『オデッセイア』、その英雄叙事詩を読むともなくページを繰りながらカミュは言った。
「先生の髪、暖炉の火で光ってきれいだね。」
「氷河。」
テーブルの傍らに頬づえをつき、淡く光を放つ師の赤い髪に幾度も目をしばたかせていた氷河は、不服げに頬をふくらませる。
「どうして？ いつもより早いよ？」
「いいから、ベッドに入りなさい。」
返事もせずに椅子から飛び下り、氷河は部屋の隅のベッドの中で丸くなる。
───気配、夜のシベリアの凍気とは違う緊迫する何かが近付いて来る。
「……カミュ……？」
じっとしていた氷河が、毛布からこちらを覗くようにして不安げに呼ぶ。
「…なんだ？…」
「何か、来るよ…。」
「お前が、心配するような事ではない。」
青い子供の瞳の上にカミュは手をかざす。
「おやすみ。」
「おやすみなさい…。」
瞼を閉じる、その子供の小さな体温をカミュのコスモが熟睡に入る状態まで下げる。
∴ ∴ ∴
それはアンタレスのように赤く、攻撃的なコスモだった───。
暖炉の前に腰掛け、『オデッセイア』を膝の上に開くと、カミュは口を開く。
「いいかげんに入って来い。」
小屋を覆うかのように辺りに広がっていたコスモが、目の前に一瞬に凝縮する。
「君とは思えぬホームドラマに驚いてね。」
黄金の聖衣をまとった姿を現して、朋友スコーピオンのミロは言った。
「何の用だ？」
「用もなく来てはまずいかい？」
クルリと背を向けて、ミロはベッドの中の子供を見る。
「しばらく…、サンクチュアリに君の姿を見ないと思えば、弟子を取ったという……。」
さそりの尾の飾りのついたマスクをミロははずす。
聖衣とは違う、柔らかな金色の髪が押さえを解かれてふわりと持ち上がる。
「どうだ、この子供ものになりそうか？」
毛布に包まれた子供を見分するようにミロは言った。
「素質は十分だろう…。」
そう言って、カミュは『オデッセイア』に目を落とす。
「お前、弟子は？」
「柄じゃない。…たしかそう言ったのは君だったぞ。」
「そうか…。」
「また、よくそんな古典を読む気になるな。」
カミュの肩に手を置いて、覗き込むようにしてミロは言った。
「そんなものではなく…、しばらくぶりにお手合わせ願いたいのだがな。」
言葉の意味を伝えるように、肩のうえの五指がカミュの喉に絡み付く。
「ミロ。」
顔を寄せて来るミロの青い瞳を見る。
それは、微笑の奥に相変わらずの勝ち気さを燃やしている。
「それが用件か？」
「あんな子供が相手では、君も退屈だろう？」
ミロはそう言って、カミュの手の中の本を閉じる。
「俺の用件なんか分かっていて、あの子供を眠らせたんじゃないのか？」
「お前のコスモが余りに攻撃的すぎたからだ。」
「へえ…。」
見慣れた、皮肉屋の微笑。
『オデッセイア』をカミュは閉じる。
床の上に、ミロの聖衣がサソリの形でうづくまる。
∴ ∴ ∴
下肢が淫靡な波に洗われる。
立てられた膝の間でうごめく、金色の髪。
指は、カミュの体を愛撫する。
「…オデッセウスは王座を守るために求婚者たちを血祭りに上げたのか、それとも貞淑な妻を守るためだったのか…。」
「カミュ。」
もう随分とその体を愛しているというのに、ぼそりと言ったカミュの台詞に、ミロは顔を上げねめつける。
「何を、考えている。」
「………。」
「カミュ！」
「…おまえ、相変わらず下手だな…。」
さっと、ミロの顔に朱が上る。
「不感症め…。」
「…女でもあるまいし、私の体の反応はお前が一番よく知っているはずだぞ？」
「カミュ……」
「おい、それをつかんだまま赤面するのは止めてくれないか？」
くっ、とミロの喉が鳴った。
「この鉄面皮！」
「悔しかったら、いかせて見せろ。」
ミロの手が微かに戸惑う。
「で、なければどいてくれ、床のうえでは背中が冷たくてかなわん。」
「君は…」
「なんだ？」
間髪を入れず問い返す。ミロの瞳が言葉を探しあぐねて弱く光る。
起き上がるカミュを、ミロは険悪な表情で見る。
険悪な……、しかしそれは拗ねた子供の表情と同じだった。
その首と肩にカミュは手をかけた。
腹立たしげに降り払おうとするのを、乱暴に押し倒す。
「離せ！」
「誘ったのはお前のほうだ。」
首筋に下をはわせて、カミュは力任せに抵抗するミロの腕を床に押さえ付ける。
ガツと音がしてミロが呻く。
肱の痺れに腕を振る。
「暴れるからだ。」
「はなせ！」
「正直に言ったらどうだ？」
逃れようとする頭を抱えて、カミュはおかしげにその耳元に口を寄せる。
「抱かれに来たのだろう？ ミロ。」
「なに…！」
一瞬、堅くなった体。
口付けが、そのミロの緊張を解く…。
∴ ∴ ∴
ためらいがちだった舌が、やがて貪欲にうごめき互いの舌を深く求め始める。
胸板を愛撫する、身をよじり浮き上がるミロの肩を、もう一度冷たい床に押さえ付ける。
その皮膚のビロードの手触りを味わいながら、愛撫の先を下肢へと降ろして行く。
「んっ…！」
上がる、声。
ミロはきつく瞼と唇を閉じ、肩をすくめる。
「ミロ。」
その下肢から手を引いてカミュは名を呼んだ。
不審げに顔を上げようとしたミロの足を、カミュは乱暴に持ち上げる。
「止めろ！ カミュっ、まだ！！！」
大きく開かせた足の間に腰を割り込ませ、前戯も何も施さぬままカミュは体を進ませた。
「くうぅっ、つっ││！」
痛みと拒絶で締め付ける相手の体を押さえ、カミュは貫く。
「つうっ…んっ…。」
ミロは唇をかみ締める。
「叫べ！」
カミュは言った。
「つっ…カミュ…。」
「叫べ…ミロ……。」
髪をつかまれ、深く体を進められては引かれる。
激しいその繰り返しに、ミロのそこもやがて熱をもち始める。
「あっ…ん─。」
痛みとは違う何かに、カミュの体の下でミロがその硬直した体を緩めて行く。
「ミロ。」
のけ反った喉をかむ。
「快いか？ ミロ。」
「はあっ…あっ…。」
「…声を殺すな。」
汗を噴き出した体が、炎の色に光る。
「んっ…。」
「声を出せ、ミロ。」
無意識に声を殺しているらしいミロの、官能を求めてうごめく腰を押さえ付ける。
「…は…なせ…。」
「私の名を呼んで、すがって来たら、離してやる。」
「な…に？」
「すがれ。」
そう言って、カミュはミロのものに触れ手ごたえを見る。
ミロはきつく唇を閉じる、だが、カミュのなすがままに翻弄され、次の瞬間には熱い息をもらした。
「さあ、ミロ。」
「き…み…は…。」
「カミュ、だ。」
きつい語調に、負けを認めるようにミロの腕がカミュの背にまわる。
「カ…ミュ…」
切れぎれの声、その体が痛いほどにしがみつく。
カミュの頬に甘い微笑が浮かぶ。
強く抱き返し、カミュもまた官能を求めるミロの動きを追う。
「ミロ。」
互いに、何かに解き放たれたかのように、がむしゃらに相手を貪り疾走を始める。 息荒く、獣のように。
官能の、絶頂を求めて…。
互いに名を呼び合い、身内に上がる炎を確かめる。
───ミロ。
───カミュ。
暖炉の薪が一つ、火花を散らして崩れた。
∴ ∴ ∴
「時たま私は、お前を滅茶苦茶にしたくなる。お前には分からないだろうがな…。」
情事の余韻にひたっているには、床は冷たすぎた。毛布を羽織ってテーブルに向かう。赤ワインの栓を抜く。
「余り見くびらないで欲しいな。サンクチュアリからここへ来るあいだ、俺は正にそんな気分だったんだ。」
「なぜだ？」
なみなみとワインを注いだグラスをカミュは手渡す。
甘い芳香が、微かに鼻孔をくすぐった。
「いつの間にか弟子など取って、こんなところに暮らして…。」
「子供に焼きもちはないだろう。」
カミュは笑う。
「そうは思ったが、見れば君の好みのタイプに育つことは間違いなさそうな少年だ。」
ミロは、くいとワインをあおる。
「では、氷河はお前に似ていると言うわけだ。」
「よくも、そう歯の浮くようなことを平然と言うものだな君は。」
「お前が素直に反応して顔色を変えるのがおもしろいからだ。」
「君は、弟子を取っても性格は変わらないようだな。」
「お前の性格もむりそうだな。」
赤いワインを、二人水のように飲み干す。
また、暖炉で薪がはぜた。
カミュは再び『オデッセイア』を膝にのせる。
「オデッセウスの血祭りは、王座は当然だが、やはり長い年月、貞淑を守り続けた妻への愛情のあらわれだったと俺は思うね。」
突然ミロは言った。
「ああ、私も思うよ。」
ぱらり、ページをめくってカミュが答える───。
時間が穏やかだ。
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