―――ここはどこなのだろう？
気付いた時から、ハーゲンはずっと立ちつくしていた。
眠たげに目を開けて、ジークフリートはぼんやりと空を見上げて横たわっている。
それが、空であることだけは、多分間違いないだろう。
青い青い空だ。
横を向く。白夜の太陽のように横たわったその目線よりわずかに 高い位置で、白金の太陽が暖かくきらきらと輝いていた。
陽を見ると、眠くなる。
ジークフリートは、反対側に顔を向ける。
陽の位置も、空の色も、いくら待っても変わらなかった。
横たわった場所は、ほどよく柔らかく。
しかし草の上でも、土の上でもない。
二人は、そうして行く方向も見つけられず、立ちつくし…、横たわっていた。
「ジークフリート、大丈夫か？」
「ああ。」
ジークフリートは答える。少なくとも、聖闘士とそして海闘士と の戦いで受けた傷は、ここで気付いた時にはきれいに癒えていた。
ただ、体が重く、眠い。
ジークフリートは左手を上げる。その手をかえして甲を見る、赤く引きつれた火傷の跡があった。
「大丈夫か？」
また、ハーゲンが問う。
「ああ。」
その目に気付かれぬようにと、手のひらを上にしてジークフリー トは手を下ろし、目を閉じる。
眠い―――。
そこは、天からも地からもはじき出されたような場所だった。
果て無く、時も見えず、ただ暖かい。
落ち着かず、ハーゲンはぐるぐると歩き回る。
出来れば何かを見つけに歩き出したいのに、何を思ってかジーク フリートは横たわったまま起き上がろうとしない。
「ジークフリート。」
業を煮やして、ハーゲンは口を開いた。
幼い頃から共に近衛としてワルハラ宮に仕えてきた。
人々から勇者と呼ばれるこの友は、どちらかと言えば寡黙で、滅多に自分の心情を口には出さない男だ。
寡黙で、しかし勇者の名にたがわぬ頭脳と行動力の持ち主だった。
そのワルハラと地上代行者ヒルダに対する忠誠心は自分すら及ば ぬほど固いに違いない。
なのに…。
「いつまで寝ている気だ。」
その言葉に、無言のままジークフリートはハーゲンの顔を見る。
「ジーク…。」
余りに表情の無いその瞳…。
―――ここから、ワルハラ宮へ戻る手立ては無いのか？
ハーゲンは力を無くし、ジークフリートの傍らに腰を下ろした。
「こんな所に放り出されて。俺は間違っていたのか、ジークフリー ト。」
うつむいてつぶやく。
「聖闘士の方が正しかったのだろう？ フレア様の言った通り、 ヒルダ様は邪悪に操られていて……。」
チクリと、手の甲が痛んでジークフリートは眉を寄せた。
濡れる感触に目をやると、傷跡から血が滲み出し流れていた。
その傷は邪悪な意志に支配された、主ヒルダから受けた傷だった。
聖闘士に向けてヒルダの放ったコスモを、ジークフリートはその片手で受け止めたのだった。
小指を伝って、その血がどこかへ落ちて行く。
瞬間、空の青がかすかに色あせた。
「俺は、何の為に戦ったのだ？」
空が、色あせていく。
ジークフリートは微笑した。
「お前は、間違ってはいない。ハーゲン。」
ジークフリートは言った。
「気休めを言うな――。」
「気休めじゃない。しかたのない奴だ……。」
そう言ってジークフリートは目を閉じる。
小指を落ちる血に従うように、体から重みが抜けて行く。
パサッ――。
音がした。
「鳥？」
ハーゲンが声を上げる。
いつからそこに居たのか、ジークフリートの手の下から、黒い鳥 がその優美な首を覗かせた。
それは、見事な黒鳥だった。
天に向けその長い首をもたげると、太く厚い翼を広げる。
ばさっ。
何の物音も無かったそこに、鳥の力強い羽ばたきが広がった。
ばさっ、ばさっ。
羽ばたき。
色あせた紫の空に幾条ものひかりのすじを投げかけながら、白金の陽が、落ち始める―――。
ジークフリートは立ち上がった。
腕を伸ばし、その鳥を腕に抱く。
「導いて下さいますか？」
問う。
ゆるめ、空へ向けて差し伸べた腕の上で黒鳥は大きく翼を広げた。
「行くぞ、ハーゲン。」
ジークフリートは言った。
嬉しげにハーゲンは大きくうなづいた。
落ちた陽の光が、柱のように向こうの果てに立っている。
それが、オレンジ色の光りに広がりすべてを染めた。
その空を、鳥が飛ぶ。
―――導く先に、黒い森が見えた…。
…夕刻の、それは見覚えのある森だった。
降り積もった雪から木々まで、夕日がオレンジ色に染め上げてい た。
―――ハーゲン。
聞き慣れたその声に、彼は宮殿へ下る道の向こうを見る。
小さな白い姿が、長い金髪を乱しながら駆けてくる。
「走らないで下さいフレア様！ 足もとが危ないです！」
聞かず、駆けてくる。
それは、喜びよりも不安の表情だった。
胸に飛びこんで、それはやっと喜びの涙に変わる。
「おねえ様が教えて下さったの、二人が帰ってくるって。」
ジークフリートは静かにうなずく。
手の甲の傷は跡形も無く消えていた……。
善であれ悪であれ、誰あろう地上でただ一人の、ただその人を守 るために、彼らは戦った。
祖国の神の代行者。
彼らの、唯一信じるもののために。
「これでみんな揃ったわ。」
春の陽のような微笑みで、フレアが言った。
「ジークフリートが寝てばかりいたから先越されてしまった。」
不服げにハーゲンが言う。
「大物は後から、姿を見せるものだ。」
ジークフリートは澄まして言った。
「シドはね、二人に増えたのよ。」
「はぁ？」
「宮殿に着いたら会えるわ。」
悪戯に、少女は笑う。
兵士達が出迎える。
宴の夜を前に、まばゆい松明がワルハラ宮を照らしていた。
幾つもの声、樹脂の燃える匂い、渡る冷風、笑う人の群れ。
宮殿の門をくぐり、ジークフリートは石段に立ち止まった。
胸に手を当てる。
遥か宮殿の最奥、高いバルコニーからこちらを見下ろしているだろう人に。
守るべき、唯一のひとに彼は遠く敬礼した。